自分的『賽は投げられた』場面

『賽は投げられた』
ローマのユリウス・カエサル(シーザー)がルビコン川を渡る時に発したという、とても有名な言葉です。
私は、このセリフを『もう後戻りはできない、あとは自分の信じる道を進むのみだ』というような意味に解釈しています(細かい部分は一般的な解釈と異なるのかもしれませんが…)。


シーザーの生年月日は紀元前100年7月13日という説があり、またルビコン川を渡ったのが紀元前49年1月10日との事なので、およそ50歳頃のセリフであるという事ができます。
酸いも甘いも熟知している年齢での発言と考えると、より一層言葉の重みや深みを感じることができます。


…実は私もつい先日、『後戻りはできない』という行動をとりました。
シーザーの行ったような歴史に残る命懸けのものには遠く及びませんが、私なりに十数年間コツコツと積み上げ続けてきた仕事における関係を、もしかしたら一気に瓦解させるかも知れないというような行動でした。


仕事における関係とは、端的に言うと『師弟の関係』かつ『元下の関係』です。
お察しのとおり、私はその関係の解消を申し出たのです。


私は、『弟子』で『下請』の立場でした。
師匠には業界のイロハから仕事の心構え、ノウハウなど、ありとあらゆる事を教わりました。
もちろん師匠の知らないこと・未経験のことも多々ありましたが、それを解決するための道筋となる第一歩目のアドバイスをいつも頂いていました。
この面においては、非常に大きな恩義を感じています。
その反面で師弟関係となる当初に言われるがままに定められた条件(中間マージン的なもの)を、特に期限を定められることもなく引かれ続けられることとなってしまいます。


最初の数年であれば、修行中の事よと割り切って乗り切ることもできたのでしょうけれど、引かれ続けることによる慢性的な生活苦に加えて、自分ももう中年期…この状態が今後いつまで続くのか分からないといった不安もあいまって、思い切って別の道を歩むことを伝えました。


伝えることで、これまでの鬱積の大半が消え去ったと同時に、上述のとおり『もう後戻りはできなくなったのだ、これからは自分の決めた道を信じて前に進むしかないのだ』という想いが強く出てきました。


多分、自分なりに数年間をかけてかなり真剣に考え抜いて、何度も何度も共存共栄について話し合って、結局平行線に終わり続けた結果の事なので、自分が最終決断をした方向性について大きな後悔はしていないと思います。
生活苦に耐え続け、もうこれ以上の継続はムリだろう…といったタイミングで切り出したことですから。


しかし、別の道を歩むことを伝えてからフト思い出すのは、関係性が上手くいっていた初期~中期の頃の思い出ばかり。
最初は自分も報酬なんて少なくても良い、仕事さえ覚えることができればと思って業界に足を踏み入れました。
その頃は師匠も『責任は自分が持つから』といつも言ってくれ、頼りがいを感じる温かな言葉で私の不安な背中を押してくれたりして、困ったことがあれば何でも相談していました。


それがいつの頃からか自分も少しずつ仕事を覚えてゆき、コツをつかみ、一人で対応をすることが通常になりました。
しかしそれとは反比例するかのように『責任は自分が持つから』というセリフが師匠との会話からすこしずつ消えてゆきました。
そして最後には、仕事は私自身がその殆ど全てを行い、最初に決めた条件だけが変わらないまま金銭の授受を繰り返すという状況が残り、ただただ年月だけが経過してゆきました。


数年前のある時、師匠はこう言いました。
変わらないものは何もないと。
自分が一人前になれば、条件も少しずつ変わってゆくかもしれないと信じて私も自分なりに努力し続けてきました。
その期待とは裏腹に、条件は最後まで変わることはありませんでした。
変わらないものはあったのです。
当時、私は思いました。
いずれ変わるかもしれないものであっても、変えなければならない時はあると。
そしてその時は自然に委ねるではなく、自らの頭で決断すべきではないかと。


そして転機が訪れます。
少し前、ネット上で『相手に変化を求めてはいけない、自分を変えてゆくべきだ』というような内容の記事を読みました。
その記事を読むまでは、こちらの窮状を訴えて何とか条件の改善を話し合いで解決したい(共に歩むことを前提にした話し合いをする)という考えの下に行動をしていたのですが、それはまさしく相手に変化を求めていたのです。
しかし自分を変えることは自分の判断のみですることができます。
そう、変わらなければならなかったのは、自分だったのです。


シーザーがルビコン川を渡ったのが50歳の頃。
私はまだその年齢にも届いておりません。
人は歳をとればとる程、あらゆる可能性を熟考してしまうがゆえに決断のスピードは鈍るものです。
しかし、後戻りできないほどの大きな決断をするのに年齢は関係ないのです。
必要なのはこれから起こり得る選択肢を可能な限りつまみ出し、その中からよりよい道筋を見つけ出すこと(失敗する可能性を少しでも低くする)と、決断をするタイミング。
…まぁ、時の運にもよるのでしょうけどね(汗)


今の私がどれほど実践できているのか…、不安な背中をそっと押してくれる頼りがいのあるあの温かな言葉は、もうそこにはありません。
これからはその言葉の役割も、自分自身が担うべきものだと再確認した日でした。

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